塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読んでいます。ベストセラーですから、いまさらここで多くを語る必要もないと思いますが、二つばかり書いておきたいことがあります。
1. 不合理な行為が合理性を持つことがある
本書によれば、古代、デルフォイの神託はギリシャだけではなく地中海世界全体に意味を持っていたそうです。例えば共和制ローマは神託を得るためにたびたびアテネへ使いを送っています。
デルフォイの神殿には、地中海世界では最も効きめがあるといわれていた神託を乞うために、民族を問わず四方八方から人々が訪れるのが常だった。
神託に頼ることは無論不合理です。
しかし、ここからは私の推測ですが、実は神託所に集まる各国の人々との交流によって情報収集をしていた、というのが実態に近いでしょう。
私たちは常々「人は合理的に行動しなければならない」と頭から信じ込んでいます。しかし、一見不合理な行為が、合理性を持つことがあるのです。
2. ターラントの運命から学ぶべきこと
イタリア半島を長靴の形に見立てると、ターラントはかかとの付け根に位置しています。この都市は、スパルタ人による植民を起源としていて、ギリシャ語が使われていました。ただ、軍事国家であったスパルタと違って、商業国家であり、地中海貿易を担って大いに栄えたそうです。彼らには常備軍がなく、戦争をするときは傭兵で済ませていました。
あるとき、嵐を避けて寄港したローマの船をターラントが攻撃したことから紛争となるのですが、ターラントの人々は、豊富な資金にあかせて名将ピュロス王を「傭兵」として雇います。仮にも王様を雇うのですから大したものです。
しかし、ギリシャに由来する高い文化を誇っていたターラントは、当時ようやく勃興しつつあったローマを侮るという致命的なミスを犯します。あるいは、ピュロスを雇うくらいですから侮ってはいなかったのかもしれませんが、長く続いた平和に慣れ、危機感の持てない体質になっていたのでしょう。要するに平和ボケです。どこかの国にそっくりです。
ターラントに到着したピュロスは、国家存亡の危機にあるはずのターラントの人々が、相変わらず劇場や運動場に出かけて遊んでいるのを見て愕然としたと言います。あのローマが攻めてくるというのに、です。
しかも、ターラントが約束した35万の兵は影も形もなく、ピュロスは手勢のみで戦わざるを得ませんでした。トラスト・ミーなどとほざいていた某元首相を彷彿とさせる話です。
その後のターラントの運命はご想像の通りです。
平和を願うだけでは平和は保たれない、という良い教訓です。我々日本人も、この際よく考えてみるべきではないでしょうか。
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塩野さんの筆致は簡明平易でありながら美しく、ぐいぐい読ませる力があります。
確かに、古代ローマの有りようは、そのまま手本にできるものではありません。奴隷制に立脚している上に、極めて侵略的だからです。
しかし、彼らの合理的で開放的な精神、意志の強さ、そしてそれによって築かれた大帝国の興亡の歴史からは、学ぶべきことが実に多いように思われます。
全一五巻にもなる大部(文庫版は四三巻)ですが、お薦めの本です。