「新しい飢餓」とは、一般的には、主にアメリカで低所得者が高カロリーで不健康な食事を強いられ、肥満が増えているとされることを指します。
なぜ「強いられている」という表現を使うかというと、生活保護に当たるフードスタンプで買える食品は脂肪分や炭水化物が多く、太りやすいものばかりだから、だそうです。
しかし、私の考えではこれは飢餓ではありません。食べる量を減らすなり、運動するなり、肥満解消の方法はいくらでもあるし、健康的な食事をするためには別に高級食材を買う必要はなく、工夫次第でなんとでもなります。そもそも生活保護を受ける境遇に陥ったこと自体、怠惰が原因である場合が全てでは無いにしろ殆どのはずです。
本当の新しい飢餓とは
新しい飢餓を心配しなければならないのはアメリカではなく日本です。それも肥満で困るとかいった悠長な話ではなく、文字通りの飢餓です。
マルサスの人口論を引用するまでもなく、世界では人口が増え続けており、食料は足りていません。いや、本当は足りているのですが、供給に偏りがあるために飢餓に陥っている人々がいるのです。
「知ってる。アフリカとかでしょ。気の毒にね。でも、私たちには関係ないよね」と思っている日本人が殆どです。が、我々がその「気の毒な側」に回らない保障は何もありません。
食料の大半を輸入に頼る日本は、残念なことに経済的には衰退しつつあります。もちろん、今日や明日、輸入できなくなることはないし、備蓄も多少はあります。いざとなれば国内での増産も可能でしょう。
しかし、我々が不利な立場にあることは確かです。同じように輸入に頼るエネルギーの分野では、原発が止まっているために発電に天然ガスが必要なことを見透かされて、他国の数倍の値で買わされるということが実際に起こっています。
日本がLNGを“ジャパンプレミアム”と呼ばれる欧米の3倍以上の価格で購入したことが、過去最大の貿易赤字の一因となっています。
NHK「クローズアップ現代」
食料はそうはならないと誰が言えるでしょうか。
日本人が飢えても他国は気にしない
冷厳なる国際政治のもとでは、若干の人々が飢えて死んでも殆ど誰も気にかけません。我々がアフリカの飢餓に無関心なのと同じように。
兆候は既にあります。
一連の中国産食品の衛生問題にも関わらず、中国からの食料輸入は止まりません。止めると食料が足りなくなるからです。少なくとも現在の食生活は維持できなくなります。
中国だけでなく、結局のところ、どこの国の人も安全な食品を輸出したいとは微塵も思っていないのです。ただ商売の都合上、明らかな毒を売ると次から買ってもらえないので、一応食べられるものを売るというだけです。
もちろん、もっと高く買ってくれるところがあればためらわずそちらに売ります。あるいは彼らが食べる分が不足すれば、我々がいくら懇願しても売ってはくれません。
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田舎に行くと、〇〇何年、近郷餓死者〇百人、などと読める古ぼけた石碑を見かけることがあります。江戸時代の飢饉の供養塔です。日本において、飢饉は過去何回も起きたし、今後も起きる恐れが皆無ではありません。
食料の安全保障について、もっと真剣に考える必要があります。