「日本の全国民から1円ずつ恵んで貰えたら1億2千万円になるのに」と妄想したことがある人は多いと思います。実際それに近いことが行われています。
今、電気料金には「再生可能エネルギー発電促進賦課金」が掛けられています。誰しも電気料金が上がることは嬉しかろうはずもありませんが、負担はわずか(東電の場合 1kWh あたり 35銭)だし、無公害の発電が増えるなら結構なことだというわけで、皆文句も言わずに払っています。
買い取り価格の固定は社会の損失を招く
しかしながら、再生可能エネルギーによって作られた電力を買い取る価格を固定(太陽光の場合で 1kWh あたり 37.8円)するのは果たして得策なのでしょうか。私は二つの点でそうではないと思っています。
言うまでもなく、価格が需要と供給の関係によって決まるとき、最も社会全体の利益が大きくなります。神の見えざる手というやつです。そこへ何らかの政治的操作が加わると、一部の者は得をするとしても、社会全体では必ず損になります。これをデッドウエイトロスと言います。これが第一点。
もう一つは、「自然な価格」よりも高い値段が設定されたことによってメガソーラーなどの再生可能エネルギー発電が「おいしいビジネス」として投資の対象になっていることです。しかも海外のファンドによって買われています。つまり、我々が払った余分なお金が外国人に少しずつ吸い取られているわけです。
これぞ高度に洗練された21世紀版の植民地主義です。
我々は知らず知らずのうちにプランテーションの労働者のように少しずつ収奪されているのです。何とも怪しからぬ話です。
推進するのは良いが、コントロールをしっかりと
上で、価格を政治的に操作するとデッドウエイトロスが生じると書きました。ただ、確かに世の中には背に腹はかえられぬ、ということもあるでしょう。例えば、エコカーに補助金を出して普及を促進するといったことが行われています。再生可能エネルギー発電促進賦課金も同じ発想です。国民の代表がロスを承知で再生可能エネルギーへと傾斜する政策を決定したのならそれはそれで良いと思います。
問題は、我々が余分に負担した金で誰かが甘い汁を吸っていることです。ましてや外国人に吸われてしまってはその富が日本に還流することはなく、国民はやせ細るばかりです。
電気事業の公共性の高さに鑑みれば、大規模な再生可能エネルギー発電に関しては当面国家が株式を保有しコントロールしていくといったことも検討すべきです。