ヘイトスピーチ(3)不快だからと禁じて良いものではない

個人の自由を制限するときに持ち出される根拠には、大きく分けて3つあります。

危害原理

「何でも自由にやって良い、ただし、他人に危害を加えない限りは」というのが危害原理です。社会はこの原理で成り立っていると言っても過言ではありません。これに異論を唱える人はまずいないでしょう。

不快原理

危害とまでは言えなくても、他人を不快にさせるなら、そのような行為(ないし不作為)は禁じて良いという考え方です。

「なるほど、他人に迷惑をかけちゃいけないよね」と、うっかり同意しそうになってしまいますが、よく考えてみて下さい。快・不快なんて極めて主観的なものです。ある人には、あなたの鼻の形がどうにも不快かもしれない。だから常に目出し帽を被っていろと言われて納得できますか?

不快原理はかなり胡散臭い理屈と言えます。

パターナリスティックな制約

これは誰にも迷惑をかけないのだけど、まあ止めておいた方がよかろうという行為です。麻薬の使用などがこれにあたります。麻薬中毒者は人に迷惑かけるだろうという気もしますが、とりあえず、仮に迷惑をかけないとしても麻薬の使用は自由権の埒外である、と考えて下さい。

さて、ヘイトスピーチです。

表現の自由に対してパターナリスティックな制約をかけるのが許されないのは論じるまでもありません。問題は危害原理、ないし不快原理を適用できるかです。

ヘイトスピーチを禁止しろと言っている人達は、要は不快原理を適用しろと言っているのです。不快な言論だから禁止しろと。

果たしてそれで良いのでしょうか。

何を以てヘイトスピーチとするかが曖昧な上、禁止の根拠も薄弱。それでいながら、自由権の中でも最も優越的な地位を占める表現の自由を制限して良いとなぜ言えるのか。

いや、ヘイトスピーチは単に不快なだけでなく、もはや危害と言えるのだという人もいるでしょう。しかし、危害と言えるならば、即ち他人の具体的権利を侵害しているならば、現状でも信用毀損罪や業務妨害罪によって罰することができます。何も言論の自由を狭める危険を冒してまで「ヘイトスピーチ罪」を新設する必要はありません。

ただでさえ、言論の自由はデリケートで失われやすいのです。刑罰を以てヘイトスピーチを禁じることには断固反対します。

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