福岡県宗像市の法然寺、及び旧唐津街道赤間宿の面影を残す町並みを見てきました。
法然寺の山門です。
寄進した人の中に出光興産の創業者、出光佐三の名があります。彼は赤間出身なのだそうです。道理で山門が立派なわけです。
側に「五卿西遷之遺跡」と記された石碑があります。幕末の文久三年八・一八の政変で公武合体派に敗れた尊皇攘夷派の七人の公卿が長州へと落ち延びました。ちなみに以前紹介した長府博物館で、このときの様子を描いた「七卿落ち」の図を見ることができます。後に七人のうち一人は病没し、一人は長州に潜伏しましたが、残る五人は太宰府へと向かいました。この石碑は、その途中一行が赤間に25日間滞在したことを記念するものです。
法然寺から少し坂を下っていくと白壁の古い建物がいくつかあります。「赤間宿」と書かれた灯籠があることから分かるとおり、町おこしの一環として整備されているようです。
ただ、江戸時代の宿場の面影を残すとは言っても、写真のような白壁の町屋はごくわずかで、大半は新しい建物でした。ここにかぎらず、全国の「城下町」や「宿場町」は畢竟私有地の集合体に過ぎず、古い建物を壊して新しくしようと住民の勝手なわけです。かと言って、一部の自治体のように景観を保全するための条例を作ると、住みにくくなってしまうのが難しいところです。
父の住んでた町です、
シエアします
山田さん:
コメントありがとうございます。私の両親もこの町に住んでいたことがあるそうです。