飲食店等の従業員が冷蔵庫に入って遊びつつ、その姿をネットにアップロードする事件(?)が相次いでいます。このようなことが頻発する理由の一つは、言い古されている感はありますが、やはり、SNS に対する認識不足でしょう。そして、もう一つ、後で詳しく述べますが、学校教育、とりわけ校則の定め方にも問題があります。
炎上のメカニズム
ネットに上げたら全世界に公開したのと同義、ということを理解していない人はまだまだたくさんいます。特にSNSの場合、自分がフォローしたりされたりしている数十人しか見ていないと誤解しがちです。
実際、いつも見ているのは数十人どころか数人でしょう。ただし、それはあくまで平常時の話です。たった一回のツイートが「炎上」するやいなや過去のツイートまでほじくり返され、大丈夫だと思っていた発言が改めて問題視されます。しかも、文脈から切り離され、人間のクズと決めつけられた上でです。
世の中には暇人がいて、炎上した人の個人情報を調べまくったり、わざわざその人の自宅に行って嫌がらせをする輩までいます。
このような「炎上」のメカニズムについては、荻上チキ氏の『ウェブ炎上 ネット群衆の暴走と可能性』に詳しく載っています。氏の考え方には同意できない点も多々ありますが、歪んだ正義感と群集心理が根底にあるという指摘は的を射ています。
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「ブロンコビリーが店舗の閉鎖を発表、店員に対して賠償請求も検討」というニュースについて、ドワンゴの川上会長と目されている @kawango38 さんが
悪ガキのおふざけにお灸を据えるのに、彼の人生を台無しにさせることで世間に責任を果たしたつもりのクソ経営者。 そして他人の不幸を見て悦に入りながら、社会正義を執行した気分にひたる賛同者。
とツイートしたのも、そういった「歪んだ正義感」に対する嫌悪からに違いありません。
他にも、「安い賃金でこき使われているバイトに損害賠償を請求するなんて」とか「いたずらも許されない社会では息が詰まる」という意見が多く聞かれます。
賠償請求は当然
しかし、バイトであることは損害賠償を免れる理由にはなりません。冷蔵庫に入って遊ぶのは業務ではないからです。
従業員の不始末は会社が責任を負うべき、というのはその通りですが、それは業務遂行中のことです。例えばウエイトレスが誤ってコーヒーをこぼし、客の服を汚したとしましょう。客は店にクリーニング代を請求するでしょうし、店は払うでしょう。ウエイトレスが普通に仕事をしていたのなら、店からクリーニング代を求償されることはありません。(使用者責任【民法第715条第1項】は使用者の労働者に対する求償権を妨げるものではない【同第715条第3項】が、労働者が通常求められる注意を尽くしている場合、過失がないとみなされる)
一方、冷蔵庫に入って遊ぶのは業務ではないし、過失どころか故意にやっていることは明らかです。この行為によって店側が損害を被ったのならば、賠償請求は当然です【民法第709条】。
ただ、このように理屈では店は損害賠償請求できますが、実際上はやはり、企業と個人とでは力関係に差がありすぎるということで、使用者の被用者に対する請求権は大幅に制限されるのが普通です。
逆に言えば、件のバイト君が店から幾ら請求されるか(あるいはされないか)分かりませんが、(裁判になれば)認められるのは大した額ではないでしょう。
これは消費者にとって「甘受すべきリスク」ではない
気になるのは「安い労働力を使うことで安く提供しているサービスなのだから、客もそのリスクを甘受すべき」という意見です。「安い飲食店では何を喰わされるか分かったものではない、まともなものが喰いたければ高級な店に行け」というわけです。
こう述べることは自分は高級な人間だと言っているようなもので、気分が良いのでしょう。「安いんだから我慢しろ」論を展開する人は少なくありません。
なるほど、コンビニの店員に一流ホテルのレセプションのような物腰を求めるのは無理があります。しかし、最小限の「誠意」は期待しても良いはずです。
髪を染めていても、鼻にピアスをしていても、言葉遣いがなっていなくても構いません。これらは単なるマナーの問題です。
しかし、冷蔵庫に入って遊ぶのは不法行為です。
過保護な校則のせいで、本当に悪いことが見えにくくなっている
やって良いことと悪いことの区別がつかない人間が増えているのはなぜか。私は学校の教育に問題があると考えています。
語弊を恐れずに言えば、喫煙はやって良いこと、万引きはやってはならないことなのです。
未成年者の喫煙が禁じられているのは、パターナリスティックな理由からです。本来、少なくとも自宅では誰でも自己責任で自由に喫煙して良いのが原則ですが、未成年者は思慮浅薄でタバコの害についてきちんと判断できないとして、保護するために禁じているのです。
一方、万引きは他人の権利(財産権)を侵害する行為であり、犯罪です。自己責任もへったくれもありません。
両者を同じように扱っていることが、日本の学校教育の問題点です。
極言すれば、タバコを吸うことによる害、即ち健康を損ない、お金がかかり、人から嫌われ、生命保険の加入で不利になる、といったことを受け入れるなら未成年でも喫煙して良いのです。バイクに乗ったり、髪を染めたり、ピアスをしたりも同様です。校則では禁じられているかもしれませんが、人として絶対にやってはならないことではありません。
もっと分かりやすく言うと、自分が困るだけのことならやって良い、他人に実害を与えることはやってはいけない、ということです。
この考え方は未成年者には少し高度すぎるのではないか、との懸念は理解できます。実際、「ああ、タバコは吸って良いんだ」「バイクに乗って良いんだ」と早合点する子供もいるでしょう。
だからこそ、辛抱強く「なぜダメなのか」を説明する必要があるのです。「とにかく禁止」では、是非弁別能力が育ちません。
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冷蔵庫に入った若者たちは、一様に校則を破って得意になっている子供のような顔をしていました。こういう甘えを育んだのが、「とにかく禁止」式の学校教育です。
「他人の権利を侵害してはいけない、もし侵害すればそれなりの責任を負う」という教育に変えていくべきです。