嗚呼、孺子ハ共ニ謀ルニ足ラズ。
高校の頃に漢文の授業で読んだ記憶がある一文です。「孺子(ジュシ)」とは若造・青二才という意味です。そのときは気にも留めませんでしたが、後に、この言葉がどういうシチュエーションで発せられたかを知って驚いたものです。
范増
前回お話しした季布と同じく、范増(はんぞう)も項羽に仕えた人です。
范増は、項羽とその叔父の項梁とに強いて乞われてその幕僚に加わったとき、既に齢七十を超えていたと言います。もう歳なので、と断ろうとしたそうですが、項羽らのあまりの熱意についに仕官を決意します。
范増はとても賢い人なので、早くから劉邦の器を見抜き、天下を取るのは項羽と劉邦のいずれかであると見ていました。そこで劉邦を除くことを考え、有名な「鴻門の会」をセッティングします。ここで劉邦を暗殺してしまおうというわけです。
ところが、項羽は劉邦を侮り、殺すまでもあるまいと思って見逃してしまいます。このときに范増の口から出た言葉が「嗚呼、孺子ハ共ニ謀ルニ足ラズ」です。
項羽は才気煥発、身の丈は九尺を超えるというものすごく恐ろしい人です。我が国の織田信長に似たイメージがあります。そんな項羽に向かって青二才呼ばわりしたのですから、范増の硬骨漢ぶりも相当なものです。
失われた美徳
そもそも范増は上にも書いたように項羽に仕えるのに乗り気ではなかったのですが、一度仕えたからには忠義を貫きました。それも今日よく誤解されているような「ゴマすり」の忠義ではなく、自らの命を省みない本物の忠義です。
翻って現代の日本にこのような気骨のある人物がどのくらいいるでしょうか。あまり多くはないはずです。
無論、「忠義」とは封建時代の観念であって、民主主義の世の中では発揮したくともしようがないというのは確かです。ですが、節に殉じるという意味では、このいにしえの徳は、現在でも形を変えて残っていて然るべきです。
分かりやすく言えば、「一度口にしたことは覆してはならない」ということです。もっと簡単に言えば「約束は守りましょう」ということです。
政治家の公約から新聞の見出しに至るまで、言葉があまりにも軽く扱われています。
「言ったことは守る」というごく当たり前のことを着々と実践する、それは自分のためであって、決して人のためではないのです。
仰るとおりです。
嗚呼、孺子、共に謀るに足らず
と
燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや
こう心の中で叫びたくなる事が度々あります。
いやむしろ頻繁かな。
ADAMさん:
韓信も興味深い人物ですよね。
ただ、范増にしても韓信にしても、その才能ゆえに重く用いられながら、最後に主君から切り捨てられてしまうのは歴史の皮肉ですね。