長崎・グラバー園

長崎は美しい町ですね。

グラバー園

有名な「グラバー園」からの眺望です。この日(10月25日)は快晴で、思わずジャケットを脱ぐほどの陽気でした。

グラバー園

この小さな建物は旧ウォーカー邸です。この丘にはグラバーの他にも数家族が住んでいました。西洋人は高燥の地を好むと言いますが、本当のようです。

グラバー園

現在はご覧のようなエスカレーターや動く歩道が何カ所も設置されていますが、グラバーが住んでいた当時は毎日の上り下りが大変だったことでしょう。

グラバー像

そのグラバーの銅像です。

グラバー邸

グラバー邸。特徴的なポーチと煙突、そして左側に見えている温室が印象的です。

EOS_1379

西洋建築なのに鬼瓦が付いています。こういう折衷様式も興味深いですね。

「知覧」の誕生

前回書いた「論争」のまとめに歴史社会学者の井上義和氏のコメントがあったことから氏の著書(共著)である『「知覧」の誕生』を手に取りました。

この本では、戦後しばらくは顧みる者もなくただ茶畑が広がっていた知覧の飛行場跡が次第に「特攻戦跡」となっていく過程が考証されています。注目すべきは「特攻とはどのようなものであったか」ではなく、戦後の「戦跡化」に焦点が当てられていることです。

他にも、「朝鮮人特攻隊員のイメージの変容」や、「戦闘機」に執着するミリタリー・ファンの存在など、10人の若手学者による考察が興味深い切り口で行われています。

詳しい内容は実際に本を手にとって読んで頂くとして、ここでは個人的に引っかかった部分を挙げておきます。

特攻隊員たちは、戦争状態のなかで敵を殺す任務を担ったという意味で、加害者としての側面を有していた。それと同時に、必ずしも自ら望んだとはいえない自爆攻撃を受け入れざるをえなかったという意味では、被害者でもあった。しかし、この加害と被害の両義性は……(後略)

本書の中では数少ない、特攻それ自体に言及した部分(79ページ、第二章「〈平和の象徴〉になった特攻」より、執筆は山本昭宏氏)ですが、俄に首肯しがたいものがあります。

「加害者でもあり被害者でもある」という言い方は、「AがBに対して、またBがAに対して互いに加害者であり被害者でもある」という場合に使うのが普通ですが、上では、「A(特攻隊員)はB(敵)に対して加害者であり、同時にC(特攻を命じた上官)に対して被害者である」というように主体が三つあり、それぞれの加害性及び被害性は程度も性質も異なります。

更に言えば、国際法上、戦時下にあっては正規軍の将兵が敵を殺害しても罪に問われることはありません。なるほど、上で言う「加害」とは罪に問われるか否かとは別の話でしょうが、そうだとしても、敵に対する加害者性は戦争である以上全ての将兵が有するものであり、特攻隊員固有のものではありません。敵にとっては爆弾や魚雷で攻撃されようと体当たりであろうと同じ「害」であるはずです。

ごく広い意味での「両義性」があるのは確かですが、特攻隊員の「加害性」に注目することに意味があるとは思えません。

本書の語り口は実証的、分析的で、決して右傾化を糾弾するといった内容ではありません。しかし、それでも幾分かは特攻の美化への危惧が見て取れます。確かに、隊員の遺書を読み、生き残った人の話を聞くなど、特攻とは何だったのかを知ろうとすればするほど「至誠に心うたれる」というような、美化してしまう「力学」が働くような気がします。

もう少し考えを深める必要がありそうです。

特攻とイスラム過激派の自爆テロ

イスラム過激派の自爆テロと特攻隊とを同一視する言説ほど、日本の保守派を憤慨させるものも珍しいでしょう。

しかしながら、両者がどう異なるのかを突き詰めて考えていくと区別は必ずしも明瞭ではなくなります。七生報国、八紘一宇の信念は、一神教と多神教の違いはあれどイスラム教に劣らず宗教的ですし、戦争、即ち集団による闘争の一部として行われる点、攻撃を行った者が英雄視ないし神聖視される点でも同じです。

違うとすれば、イスラム過激派の自爆テロがしばしば民間人を標的とすることです。

以前の論争でも、私は特攻と原爆投下を対比して後者を民間人に対する攻撃であるとして厳しく指弾しました。米国の言い分によれば日本軍は上海や重慶を無差別爆撃しており、抗議する資格が無いとのことですが、それによって原爆投下が正当化されるというのもおかしな話です。

原爆にしろ、焼夷弾あるいは通常の爆弾による爆撃にしろ、米軍の空爆は民間人を標的としていました。このことはいずれ歴史によって裁かれねばなりません。

私の見るところ、欧米人の、特攻や自爆テロに対する嫌悪感と、2つの原爆を含む日本空爆に対する罪悪感の希薄さは、黄色人種に対する差別意識という一つの線で繋がっています。自分たちよりも劣った命と見るからこそ、特攻が、あるいは自爆が、「卑劣」であるという発想が生まれるのです。

もう一つ、言っておかなければならないことがあります。それは我々が「特攻とイスラムの自爆テロは違う」とムキになるのも、結局は彼らに対する差別意識に淵源しているということです。

特攻隊員に対しては、我々は時代は違っても自分と同じ顔で同じ言語を喋る同じ日本人だという意識があり、だからこそ「貴い犠牲」と感じるのです。イスラムの自爆テロに対して何ら共感せず、むしろ嫌悪するのは、彼らの肌が褐色であり、異なる言語を喋り、異なる神を信じているから、というのが全てではないにしろ大部分と言えます。

そして、このように他国民、他民族の命を自分たちのそれより劣ったものと見なす心理こそが、憎悪の発生源であり、且つ憎悪そのものなのです。

特攻から少し話がそれました。次回は書籍『「知覧」の誕生』の感想を述べます。

特攻の「意味」

少し前に太平洋戦争末期のいわゆる特攻に関してTwitter上でちょっとした議論をしました。そのときの発言についてはこちらにまとめられています。Twitterというメディアは互いの発言を十分に咀嚼しつつ語り合うのに向いておらず、どうしてもやや噛みあわない感じになってしまいますが、概ね言いたいことが言えたように思います。

あれから2ヶ月半経って自分なりに考えを深め、また『「知覧」の誕生』という書籍にも目を通しましたので、これから数回に渡ってそのことについて述べます。

特攻は無意味だった?

発端は私の発言、「特攻隊員の苦悩に思いをいたし、感謝を捧げることと、特攻を生んだ権力構造をそのまま肯定することとは違う」に対して、長 高弘さん(@ChouIsamu)が、「何の意味も無く死んだ人に捧げるべき感情は「悲しみ」や「憐み」や「悼み」であって「感謝」では無い」とコメントをされたことでした。

正直に言うと、「感謝」という言葉は深く考えて出たものではなく、私自身完全にしっくりきていたわけではありません。長さんをはじめ多くの人がこの「感謝」に違和感を持ったようです。

私としてはこの時点では「感謝」という言葉には特にこだわりは無く、むしろ長さんの発言の「何の意味も無く死んだ」という部分に強い反発を感じました。特攻隊員への冒涜だと思ったのです。

誰にとっての「意味」か

もっとも、ひとくちに特攻の「意味」と言っても、それが指すところは語る者によって異なります。

当事者 第三者
味方
主観的 肯定的 勇敢な死 大義に殉じた 理性的な選択
否定的 ロボットのよう 犬死に ファナティック
客観的 肯定的 損害大 戦果大 有効な作戦
否定的 損害小 戦果小 不合理な作戦

まず、特攻の意味を主観的に捉えるか、客観的に捉えるか。そして、それぞれについて肯定的・否定的な捉え方があり得ます。

さらに、当事者と第三者で、また、当事者でも敵(連合国軍将兵)と味方(日本軍将兵)とでそれぞれ違った「意味」を見いだしていたはずです。特攻を目の当たりにした米兵の中には彼らの理解の外にある行動に日本軍への敵愾心を募らせた者も多かったと言います。

特攻隊員個人にとっての「意味」

最も当事者性の高い特攻隊員個人にとって、特攻の意味とは何だったのでしょうか。遺書などに残された「笑って死ぬつもりです」だとか「お国のために死ねるのなら本望です」といった言葉を検閲に対する建前に過ぎないと考える者も居れば、ある程度本心が含まれているとする者、100%本心だとする者も居ます。

死にたくないというごく自然な心情を吐露することに対して当時の社会が抑圧的であったことは確かです。その点を重く見れば建前だったということになります。ただ、そういった外部からの抑圧だけでなく、自分自身でも「これは崇高な使命なのだ」と強く思い込もうとしていた、言い換えれば「死は鴻毛より軽し」という思想を内面化していたと捉えるならば、半ばは本心であったとも言えるかもしれません。

ただ、このように「本心であるか疑う」こともまた、特攻隊員への冒涜ともなりうるのが悩ましいところです。

「戦果」は客観的に計測し得るが……

特攻作戦の客観的な「意味」とは即ち「戦果」です。これについては定量的な研究がなされており、Wikipediaに拠れば、米軍の全損傷艦船の48.1% 全沈没艦船の21.3%が特攻によるものであったということです。ただし、この数字自体は客観的と言えますが、「だから特攻作戦は有効だった」ということになれば、途端に主観的な評価へと転化し得ます。

このように特攻の「意味」は互いに入り組んだ多層的なものとして捉える必要があります。

第三者による主観的な意味づけということに関して言えば、後世の我々日本人はもちろん、世界各国の人々が誤解も含めて様々に「カミカゼ」を解釈しています。次回はこのことについて述べます。

阿蘇

連休中、阿蘇に行ってきました。宿は「かんぽの宿阿蘇」です。

ごちそう

さっそく宴会です(笑) 手前右は熊本名物馬刺し、左は辛子レンコン。

刺身

刺身。

シーフードグラタン

シーフードグラタン。これは美味しかったです。

肉

そして、肉投入。小さいけど良い肉でした。

阿蘇山

ホテルから見た阿蘇内輪山。少しガスっているでしょうか。部屋は6階なのですが、自殺防止だとかで窓が少ししか開かず、その隙間から撮った1枚です。

良い骨休めになりました。

大田・絵堂戦跡

またも一週間遅れの更新です。山口県の大田・絵堂戦跡に行ってきました。

幕末、禁門の変を起こした長州藩は一時朝敵とされました。第一次長州征伐の後、藩政は幕府への恭順を唱える俗論派に牛耳られ、倒幕を目指す高杉晋作ら正義派は弾圧を受けます。元治元年十二月十五日、正義派は長府の功山寺で挙兵、大田・絵堂の戦いで俗論派に勝利し、これ以降藩の主導権を握ったのでした。

明治維新へと続く倒幕の流れを形作ったという意味で重要な事跡です。

金麗社

正義派が本陣を置いた金麗社。

金麗社

敬老の日ということで日の丸が掲げられています。

大田・絵堂

戦場跡の石碑。手元の書籍に載っていた写真では石碑は雑草に覆われていましたが、行ってみると綺麗に草刈りされていました。

すぐ近くには長登銅山跡があります。ここで産出された銅が奈良の大仏に使われているのだそうです。

長登銅山跡

彼岸花がたくさん咲いていて、すっかり秋めいていました。

英彦山神宮

英彦山神宮に詣でました。もっとも今日ではなく先週末のことです。

英彦山神宮 - 参道

急な階段が続く参道はなまった体には厳しいものがあります。

杉田久女 - 句碑

途中には杉田久女の句碑がありました。この彼女の代表的な句は英彦山で詠まれたといわれています。

谺して山ほととぎすほしいまゝ

英彦山神宮

山の上のお宮。さらに上にも上宮があるそうです。

実は参道に平行するようにスロープカーが設けられています。

スロープカー

帰りはこれに乗ってみました。景色がよく見えるように窓が大きく取られており、温室効果で車内はかなり暑かったです。

係員曰く、登りではなく下りでスロープカーを利用したのは賢明だということです。下りで転んで怪我をする人が多いのだとか。

若者はむしろ左傾化しており、金儲けは善である

新聞などで若者の右傾化を危惧する記事をよく見かけます。本当なのでしょうか。

まずもって分かりにくいのが、右翼、左翼というカビの生えた言葉です。この言葉は時代によって国によって、また人によって違った使われ方をし、時に全く別の思想が同じ右翼、左翼という括りで語られたりします。

そもそもはフランス革命期の国民議会で王党派や貴族派が議長から見て右の席を、共和派が左の席を占めたことから来ているのはご存じの通りですが、今日の日本の右翼 がフランスの王政復古を望んでいるわけではもちろんないし、左翼もロベスピエールらの恐怖政治を見習いたいわけではないはずです。

ですから、若者が「右傾化(あるいは左傾化)」している、ではなく「保守的(あるいは革新的)」になっていると言った方がより正確と言えるでしょう。

しかし、この分類法も完璧ではありません。

先日話題にした安保関連法制に対していわゆる左翼の人々の多くは反対を表明していますが、その典型的な主張は「現在の個別的自衛権で十分」というもので、逆に言えば自衛のための戦力自体は認めるという人が殆どです。

つまり、彼らは「現状維持」を望んでいます。これは通常の言葉の意味からすれば保守主義と呼ばれる思想です。

一方、いわゆる右翼は解釈によるにしろ憲法を変えようとしており、見方によっては革新思想とも言えます。

右翼を保守的というよりは体制支持的、左翼を革新というよりは体制批判的とする考え方もあります。しかし、日本の「体制」は国民皆保険、国民皆年金といった極めて社会主義的な政策を行っており、中国人の間では「日本人に近寄ると社会主義がうつる」というジョークさえあるほどです。

このように右翼、左翼、あるいは保守、革新は互いに入り組んでいます。

若者に話を戻すと、彼らは自分が社会の歯車として組み込まれることを半ば諦観していますが、しかし、「ブラック企業」が流行語となったことからも分かるように、搾取されることには強い拒否感を示します。資本家を敵視し、労働者に正当な対価を支払うよう強く求めるその発想はむしろ左翼的です。

思うに、このような傾向が現れた原因の一つは教育にあります。

公立であろうと私立であろうと教師は賃金労働者です。彼らは無意識のうちに「決まった給料で暮らすのが正しい生き方」というメッセージを発しており、それが生徒のサラリーマン志向に繋がっています。

さらに困ったことに、彼らは同時に「金儲けは汚いこと」というメッセージも発しています。なぜならば、彼らの中では、決まった給料で満足せず少しでも多く儲けようとすることは卑しいことだからです。

その実態は、江戸時代以来の士農を尊び工商を卑しむ朱子学、マルクス由来の反資本主義、そして金持ちに対するルサンチマンがない交ぜになった「反金儲け思想」です。

私を含めて現在日本の人口の殆どを占める人々が受けてきた戦後教育は、理想としては思想的に中立を目指してきました。それ自体は良いことですが、代わりに見えにくい形での偏見を植え付けられており、その一つが反金儲け思想というわけです。

実際のところ汚い手段で金を儲ける人はたくさんいます。しかし、ルールを守る限り、金儲け自体は何も悪くないはずです。それどころか、個人の尊厳に最高の価値を置く現代の民主主義では、利潤の追求は欠くべからざる人権なのです。

労働に対して正当な対価を求めるのは結構なことです。しかし、資本家=金の亡者=悪というステロタイプは間違っています。天然資源に乏しい我が国が、今後取り得る有力な選択肢の一つが金融立国です。「金儲けは卑しい」などという時代遅れで差別的な思想は早く克服しなければなりません。

問題は総理の人格ではない

安保関連法制に抗議する女子学生のスピーチに対して、武蔵大の北村紗衣氏が「保守的・伝統的な性役割に基づいた家族モデルへのノスタルジーだと思った」と批判したことが物議を醸しています。

元のスピーチの批判された部分は以下の通り。

「家に帰ったらご飯を作って待っているお母さんがいる幸せを、ベビーカーに乗っている赤ちゃんが、私を見て、まだ歯の生え ない口を開いて笑ってくれる幸せを、仕送りしてくれたお祖母ちゃんに『ありがとう』と電話して伝える幸せを、好きな人に教えてもらった音楽を帰りの電車の 中で聞く幸せを、私はこういう小さな幸せを『平和』と呼ぶし、こういう毎日を守りたいんです。」

私は全体としてはこのスピーチを支持しませんが、批判は的外れであると考えます。なるほど、「ご飯を作って待っているお母さん」というフレーズからは保守的・伝統的な家族像が思い浮かびますが、他の部分を読めば、この人にとっての平和のイメージの一例に過ぎないことが分かります。

togetter のコメント欄にそのように書いたところ、九州大学法学部准教授の大賀哲氏からメンションを貰いました。

保守的家族観の是非についても私は別の考えを持っていますが、当の女子学生はそれを是とするわけではないでしょう。彼女に対して、自己の発言がどういう人達にどのように利用されるか見通した上で喋れと求めるのは、不可能を強いるのに近いと言えます。

最後に、なぜスピーチを全体としては支持しないか。

それは、問題を安倍総理の人格に帰しているからです。政治的発言にはしばしば見られることですが、「こいつは傲慢で卑劣で血に飢えたファシストである。だから……」という論理で語ってしまっています。

大切なのは安倍総理の人格ではなく、法律の中身であるはずです。具体的にどの法律の何条がどのような理由で危険なのか。我々の安全を増すのか減じるのか。そこを論じるべきです。

総理の人間性は重要ではありません。

院内の石橋

一昨年の二月に大分県の院内というところへ行ったのですが、先日また行ってきました。前回一つしか見られなかった石橋をもっと見たかったのです。

鳥居橋

まずは前回も訪れた鳥居橋。これが一番有名のようです。

渓流

渓流がいかにも涼しげです。

打上橋

打上橋。アーチが一つだけの小さな橋で、上にちらっと写っていますが現代の橋が重ねるように架けられており、生活道路として使われています。探し出すのに苦労しました。

御沓橋架設記念碑

御沓橋梁架設記念碑。

御沓橋

そしてこれがその御沓橋の下から見上げた姿です。

荒瀬橋

こちらは荒瀬橋。ご覧のようにかなりの高さがあります。

富士見橋

富士見橋。蔓草が生い茂っていますね。

分寺橋

そして、今回最後に回った分寺橋です。これも見つけるのに苦労しました。

院内の石橋は、七十以上もあるそうです。全て見て回るのは困難ですが、主なものだけでも見られて満足です。

実は亡父が子供の頃この近くに住んでいたそうで、もう一度この石橋群を見たいと言っていましたが、かないませんでした。親孝行したいときには親はなし、ですね。

橋脚