必要なのは脱原発ではなく、福一事故の収束

「脱原発」が流行しています。都知事選挙では、元首相の細川護煕が「脱原発」を掲げて立候補し、ある程度の支持を得ています。東京に原発などないのに奇妙なことです。

脱原発派の主な論拠になっているのが、「現在全ての原発が止まっているが、特に支障がない」という事実です。

もともと日本の電力会社の発電能力は、一年のたいていの日の需要を上回っています。ただ年に数回ある猛暑の日、それも午後の1,2時間だけ、みんながエアコンを付けるので消費電力量がピークに達し、そのピークに対応するために過大とも言える発電能力を保持しているのです。

だから、原発無しでもある程度までは対応できるのですが、ただでさえ石油や天然ガスの価格は乱高下しやすい上に、「日本は原発を動かせないなら、石油・天然ガスを買うしかないですよね」と諸外国から足下を見られ、割高の燃料を買わされることになります。

勘違いしがちなのは、原発というものは止めたからといって安全なわけではない、ということです。停止しても冷やし続けなければいけません。現在全ての原発が運転停止していますが、それによっていかほども安全になったわけではないのです。

福島の事故による被害は甚大で、原発の安全性に疑いが投げかけられているのは当然のことです。しかし、原発を止めるだけでは意味がないし、完全な廃炉を目指すのは無意味ではないとしても、我々が負担しなければならない費用は現在の比ではありません。

交通事故に喩えると、「事故を起こしてしまったのでもう自動車には乗らない」というのも一つの考え方ですが、「敢えて乗り続けて金を稼いで、被害者に賠償する」というのもまた一つの考えです。

脱原発するか否かは二次的な問題であって、現在の福島第一原発事故の収束と被害者の救済こそが喫緊の課題と言えるのではないでしょうか。

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