セクハラヤジより野蛮なもの

世間で、ある人や組織が酷く叩かれているとき、「だが、ちょっと待って欲しい」とばかりに、異論を唱えるのはブログではありがちなスタイルです。この迥寞録にもそんな記事が幾つかあります。

先日の「そもそも『早く結婚した方がいい』はセクハラか」もその一つで、おっちょこちょいな人はセクハラを擁護していると思うことでしょう。

しかし、読んでもらえば分かりますが件の発言がセクハラかどうかということと、発言を支持ないし容認するかどうかは別の問題です。発言が議場におけるヤジであることからすれば、当然侮辱の意図があるのだろうし、言われた方は不快だったでしょう。

ですから「このおっさん、いらんことを言ったなー」とは思います。それだけです。でもこの発言だって、もし、鈴木氏に面と向かって言ったら、彼も「おっさんとは何だ、おっさんとは!」と不快に思うかもしれません。快不快という主観に基準を置く限り、キリがありません。

だから、言論は自由市場であるべきだと思うのです。

よくない発言をしたら評価が下がり、議員であれば落選の危険が増す。企業人であれば株価が下がったりする。それで良いではないですか。

言論に「触れてはならない領域」を作って、うっかり触れると袋だたきに遭って社会的に抹殺される。ファシズムそのものです。

鈴木氏のヤジが下品だ下劣だ野蛮だと言われていますが、私に言わせればその袋だたき現象こそが野蛮なのです。

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