なぜ外国人にまで子ども手当を支給するのか

子ども手当申請の受付が始まりました。中学生までの子供を持つ親に対して子供一人あたり月額1万3000円(来年度からは2万6000円)を支給するというものです。子供を育てている若い親たちを支援するのは誠に結構なことです。

しかしながら、この子ども手当、問題点が数多く指摘されています。

親が海外在住の場合は日本人の子であっても支給されない、親のいない子に対しても支給されない、といった、露骨に票を金で買うようなやり口もひどいものですが、一番ひどいのは悪用に対する歯止めが殆ど無いことです。

特に日本在住の外国人の、海外に住む子供に対してまでも支給されるというのは、悪用してくれと言っているようなものです。

実際に申請を受け付ける地方自治体では、本当にその人の子なのか、そうだとして扶養事実があるのか、厳密にチェックすることは非常に困難です。それでもなんとかしてチェックしようとすれば、莫大なコストがかかることになります。

悪用でなく真実その人の子だとしても(殆どの場合そうでしょうが)、そもそも、なぜ日本人が外国人の外国に住む子供を養わなければならないのでしょうか。

一歩譲って、いわゆる永住外国人とその子供に対してならば、分からないこともありません。しかし、一時的に出稼ぎに来ているだけの外国人にまで支給するというのは一体どういうことなのか。

それこそが民主党の邪悪な意思の現れなのです。
将来、自民党その他の「野党」が、子ども手当の廃止、あるいは少なくとも見直しを求めた場合に何が起こるか考えてみて下さい。

そう、「差別、サベツ」の大合唱が起こります。「外国人に対する支給をやめるのはサベツである!」と大騒ぎする連中が出てくるはずです。
そして、そのような「外圧」を利用して自らの権力を維持するのが民主党の目的なのです。

外国人に対する子ども手当の支給は、端的に少子化を改善する効果が皆無であるだけでなく、日本の富を海外へ流出させ、逆ケインズ効果によってむしろ国内の子供に対する支出を減らす恐れすらあります。

今はまだ「貰えるものは貰っておこう」という外国人たちも、支給が長く続けば続くほど、「貰うのは当然の権利」と考えるようになります。
この制度は、徐々に日本を蝕んでいく阿片のようなものです。

確かに、表だって「外国人には支給するな」とは言いにくい面があります。いかにも差別っぽい響きですからね。しかし、私たちは勇気を持って言わなければなりません。

外国人に対する子ども手当支給に反対しましょう。

小沢は辞めなくとも良い

民主党小沢幹事長の元秘書の国会議員が逮捕されるなど、政治とカネにまつわる事件が絶えません。

小沢は責任を取って辞職するべきでしょうか。

敢えて、辞めなくて良い、と主張したいと思います。彼の意思で辞めるべきなのではなくて、我々が我々の意思で「辞めさせる」べきだからです。下手に辞めたりすると、「潔い」などと勘違いする人も出てきかねません。そして、しばらくすると「禊ぎ」をすませたなどと言って、いけしゃあしゃあと復活するのは目に見えています。

無論、今後の捜査の過程で小沢本人の容疑が固まり、辞めざるを得ない状況になればそれに越したことはありませんが、そうならなくとも、彼の政治生命を絶つ方法はあるのです。選挙で落選させること、これです。

人間とは現金なもので、自分の支持する政党・政治家の不祥事には甘く、支持しない政党・政治家のそれには厳しいのが常です。
民主党支持者からは、「小沢の違反は形式的で、たいしたことないのに、他党の支持者がここぞとばかりに叩いている」と映るのかも知れません。確かにそういう面もあります。

ですから、はっきりさせておきましょう。

少なくとも私は、カネにクリーンな政治を求めているわけではありません。カネに汚かろうとなんだろうと、結果的に国民のためになるのならそれで良いし、いくらクリーンでも国民のためにならない政治では困ります。私だけでなく、多くの人がそう思っているはずです。
そして、私が小沢一郎、及び民主党を支持しないのは、彼らの政策が国民のためにならないと考えるからです。子ども手当、外国人参政権、普天間基地移転問題の迷走、どれをとっても国民全体の利益と相反するものです。カネの問題は、語弊を恐れずに言えば、些末な問題です。

今回のいわゆる「小沢疑獄」がどこまで発展するか分かりませんが、仮に小沢本人の首が繋がっても失望する必要はありません。
繰り返しますが、どんな権力者も、選挙で落選させれば、手も足も出せなくなるのです。民主主義の素晴らしいところです。

言葉は悪いですが、「なんとか殺すに刃物はいらぬ」です。投票だけで小沢の命脈を絶つことが出来るのです。

まずは今度の参院選です。どの党の誰に投票しろとは言いません。私の考えに賛同して下さる方は、ぜひ選挙に行って下さい。

まだ技術立国を捨て去るべきではない

最近、「日本の家電業界は過剰品質に陥っている」と説く論者が多く居ます。
韓国など新興国のメーカーは、もっとも購買意欲が旺盛だと言われる、中国・インドに住んでいて月収およそ8万円以下の人々(ボリュームゾーン)をターゲットに良いビジネスをしています。
それにひきかえ、日本の家電メーカーは「月収8万? そんな貧乏人を相手に出来るか!」と言わんばかりの殿様商売で、利益を減らしています。

この現象だけを見ると、日本のメーカーも、技術開発などやめて、低価格で勝負したほうが良いようにも思えます。

しかし、それこそ近視眼的な愚策に他なりません。

なるほど、今は中国・インドなどに月収8万以下の人々が大量にいます。しかし、彼らはずっと月収8万以下なのでしょうか。そのうち、10万、15万、20万となってくるのではないでしょうか。そして、そうなっても相変わらず「安かろう悪かろう」の製品を買い続けるでしょうか。

おそらく、今我々が使っているような高品質な製品を望むようになるはずです。確かに、中国にGDPで追い抜かれるのは心情としては悲しい。しかし、それは「高品質」が武器の日本メーカーにとって巨大なチャンスでもあるのです。

古い話ですが、1929年、アメリカのフーヴァー大統領は就任演説において「このアメリカの好況は永遠に続くであろう」と高らかに宣言しました。ところがその年の10月、かの世界恐慌が起きるのです。先のことは分からないものです。
また、昭和の末のバブル景気を経験された方は、あの時代の空気をよく覚えていらっしゃるでしょう。そう、あの好景気が永遠に続くように感じたものです。しかし、そうはなりませんでした。

今の不景気も同じ事です。まぁ、ちょっと長いことは長いですが、永遠に続くことはありません。特に若い人は物心ついたときから不況なので、日本の将来に希望が持てないようですが、交互に好況不況が訪れるのは資本主義の宿命であり、好景気は必ずまたやってきます。この点は強調したいところです。

実は筆者も、とある家電メーカーに勤める身です。残念ながら、会社の長期戦略に参与するような役職ではありませんが、技術者として、「お前らの製品は過剰品質だ」と言われては、心穏やかならぬものがあります。

現在の世界的需要に対応するために、一時的に低価格戦略をとるのは仕方のないことですが、技術的アドバンテージは決して失ってはならない、否、ますます強化していくべき、と考えます。

上に述べたとおり、中国がお金持ちになるということは、日本製品の強みが生かせるということです。インドもそうです。
今は苦しいときですが、なんとか耐え抜けば、日本の未来は明るいのです。

 

七種は乙女の摘むと聞きにけり

ざまを見よでは済まない

鳩山政権が迷走しています。

首相自身の違法献金問題を始め、閣僚の問題発言(一例を挙げると藤井財務相の円高容認発言)、それによる悪影響が相次いでいます。閣僚ですらない小沢一郎は、国会議員143名含む総勢626人で「中国詣で」を行い、「日本は今、自分が支配している」と豪語しました(比喩でなく、本当にした)。

小沢と言えば、以前、天皇陛下の中国副主席との特例会見をごり押ししたことに関して、口を極めて小沢を罵りましたが、このことに関して、少し言い足りなかったことがあります。
確かに、中国は今後も発展を続ける国であり、中国との友好関係を築くことに反対する人は殆ど居ないでしょう。
ですから、ルールに則って会見が行われていたなら、何の問題もなかったのです。問題は「ごり押し」です。

自分の場合に置き換えて考えてみると分かりやすいかも知れません。
あなたが有名人だとします。Aさんから「Bさんがあなたに会いたがっているので、ぜひ会ってくれ」と言われたとします。あなたは、「当分予定が詰まっているので会えそうもない」と答えます。すると、Aさんが「俺のメンツをつぶすのか? いいから、とっとと会え!」と言うわけです。Aさん、嫌な奴ですよね。

まぁ、嫌な奴でも良いのです。政治には、時として、嫌われ役を買って出てる者が必要ですから。小沢を支持する人は、まさに彼のことをそういう風に見ているのでしょう。「天皇陛下が中国副主席と会われたことは、結果的には良かった」と。
しかし、そうではないのです。小沢の行動は、自分の利益のためであり、国家の利益のためではない。中国という後ろ盾を得て、自らの権力を盤石にしたいだけです。

小沢の悪口はキリがないので、鳩山について。

私は、鳩山が強く非難されるべき事柄が三つあると思っています。

一つは、2020年までにCO2排出を25%削減(95年比)すると勝手に国際公約したこと。
確かに、環境保全は大切です。しかし、25%という数字は全く非現実的で空想的なものです。
鳩山は嫌われ者になってでも、「我が国は既に乾いたぞうきんのような状態です。今後は、米国・中国など、大量排出国に頑張って貰うしかありません」と言うべきでした。
それなのに調子よく「25%削減しまーす」などと約束してしまいました。もし、本当に削減するならば、まさに国民の血を絞り出すしかありません。不況はもうあと20年続き、路上は浮浪者で溢れるでしょう。削減しなければ、今後、日本の指導者が国際的な場で何を発言しても、誰も聞いてくれなくなるでしょう。

次に、普天間基地移転問題について、全く指導力を発揮できていないこと。「しばらく待ってほしいとお願いし、十分理解してもらった。 クリントン長官からは『よし、分かった』という思いをいただいた」との説明には唖然としました。「思い」とは一体なんなのでしょう。
案の定、クリントン長官は「先送りに理解を示した」ととれるこの発言を「捏造」であるとして強い不快感を示しました。

そして、冒頭にも述べた違法献金。
もっとも許し難いのは、首相自身が野党時代、「秘書のせいにして責任を逃れるのは許されない。たとえ秘書がやったことでも政治家は直ちに職を辞すべき」と国会ではっきりと述べていることです。それにも関わらず、自分の番となると「秘書のやったことで自分は知らなかった」と言い逃れる。悪党というより、卑小極まるクズのような人間です。

私は以前から民主党は大嫌いだったし、先の選挙で大勝したときは暗澹たる気持ちだったものです。が、この民主党の相次ぐ失態を、「ざまを見よ」と笑って見物するわけにはいきません。
この失政のもとで日々失われているのは我々国民の利益であり、世界から物笑いにされているのは民主党ではなく、彼らを選んだ我々日本人なのです。
我々は、もっと怒らねばなりません。

小沢幕府を倒せ

小沢一郎が調子に乗りまくっています。選挙の前後のしおらしい姿とはうって変わって、ヤクザ顔負けの凄みっぷりです。いや、ヤクザよりタチが悪い。
曰く、
「(天皇陛下の)体調が悪いなら(中国副主席との)会見以外は休めば良い」
「天皇の国賓との会見は国事行為。内閣の助言と承認により行う」
「(特例会見に難色を示した)宮内庁長官は辞任せよ」

天皇陛下のお身体を全く気遣うことのない傲慢さは酷いものですし、国賓との会見を「国事行為」と誤解している(正しくは、公的行為)のは、あまりにも不勉強です。

つまりこういうことでしょう。ルールに従って普通に会見をしてもらってもつまらない。俺の権力を以てすれば、ルールを破って天皇陛下のスケジュールを変えさせることもできる、と。

小沢は「自分が特例会見を働きかけたことはない」と言っていますが、当の宮内庁長官が総理からの圧力があったと述べているのです。先のあの見苦しい小沢訪中団の動きと考え合わせるならば、小沢が鳩山を通じて働きかけたとしか思えません。さもなければ、鳩山一人の考えでこんな横紙破りをしたというのでしょうか。鳩山がそんなことのできる器ではないことは、首相就任以来の小人物ぶりを見れば分かることです。

都ニ王ト云 人ノマシマシテ 若干ノ所領ヲフサゲ
内裏 院ノ御所ト云 所ノ有テ 馬ヨリ下ル六借(むつかし)サヨ
若(もし)王ナクテ叶 マジキ道理アラバ
以木 造ルカ 以金 鋳ルカシテ
生タル院 国王ヲバ 何方ヘモ皆流シ捨 奉ラバヤ

『太平記』の一節、室町幕府の権臣、高師直の言とされる文章です。帝を木で造るか金で鋳るかして、本物は島流しにしてしまえ、という意味です。
小沢一郎の傲慢さはこれに通じるものがあります。
高師直は後に失脚し、武庫川の堤の上で討たれますが、さて小沢はどうなることでしょう。

一つだけ言えるのは、今ならまだ間に合う、ということです。今、我が国は虎狼の食い荒らすままとなっていますが、まだ間に合います。どんな悪徳政治家でも、選挙に落ちればどうにもなりません。次にいつ選挙があるか分かりませんし、それまでに日本はかなりボロボロになるでしょうが、それでもまだ、「選挙制度廃止」だとかそういうことにはならないはずです。

選挙で落選させれば良いのです。刃物は要りません。心ある岩手県民の方は肝に銘じて下さい。金輪際、小沢一郎に投票してはいけません。比例で復活などの心配はしなくてよろしい。要は大きすぎる権力を与えなければ良いのですから。

普段は割と当たり障りのないことばかり書いているこのブログですが、今回は、怒りのあまりかなりキツい書き方になってしまいました。

しかし、自己の政治的信条を開陳するとアブない人と思われてしまう、というこの日本的風土が、奴らに利用されているのです。奴らとは、自己ないし自派閥の利益のために国家・国民を平気で売り渡す連中のことです。
皆様も、これからは身近な人と政治についてもっと語り合ってみるようにしては如何でしょうか。

ブルジョア左翼!?

近頃怪しからぬ話を聞きました。郷里の駅前に立派なマンションが建ったそうで、そのオーナーが筆者の小学校5,6年の時の担任の先生なのだそうです。

それ自体は結構なことなのですが、この話を聞いて、脳裏にある光景が浮かぶとともに、何とも知れない失望の念が湧いてきました。
終業前のホームルームでのこと。その先生が、明日は学校はお休みだと言うのです。我々生徒は大喜びしたものです。ただ、祝日でもないのになぜ休みなのかは子供心に不思議でした。……実は教員のストライキだったのです。

ご存じの通り、国家公務員法(98条)及び地方公務員法(37条)により公務員のストライキは禁止されています。法律を破ってストライキを行うことに多少の後ろめたさがあったのでしょう。先生は小学生に向かって、労働基本権の講釈を始めました。
大方、ストライキ権は原則として全ての労働者に認められるべきなのだが、日本の法律は不当に公務員のそれを制限している。しかし、ILO(国際労働機関)では、公務員にもストライキ権を認めるべきとしており、日本の国内法よりも国際機関の見解の方が優越するのであるから、我々がストライキをするのは正当である、とかいう話でした。

いかがでしょう。小学生相手にですよ。ちょっとした教室内プロパガンダです。
彼の主張には二つの誤りがあります。一つは、公務員のストライキを制限しているのは確かに国家公務員法と地方公務員法の二つの法律ですが、これらは、憲法15条に「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて」とあることに由来しているのであって、公務員のストライキは、単に法律違反であるに留まらず、憲法違反である、ということ。
そしてもう一つは、国際条約(この場合、国際人権規約)と国内法、及び憲法の上下関係については諸説あるものの、条約が常に憲法に優位するとする説は稀で、両者は対等、もしくは憲法が条約に優位するというのが通説である、ということです。ましてや、公務員には憲法尊重擁護義務(憲法99条)があり、都合の良い時だけILOなどの国連機関を持ち出すのは筋が通りません。彼ら(日教組)は、例えば9条関連などでは、憲法を絶対に護持すべき大層なものとして扱うくせに、こと自分たちの給料をつり上げようという段になると、憲法に優越する価値を認めないことを誓った上で公務員となったことを忘れてしまうのは、奇妙なことです。

公務員のストライキと民間のストライキは、質的に大きな相違があります。民間では自分たちの給料は自分たちが稼ぐのです。ストライキをしている間は当然利益があがらず、下手をすれば会社が潰れて、元も子もなくなってしまう。そういうリスクを負いながら、まさに身を削って交渉しているわけです。
一方、公務員は税金で食っています。いくらストライキをしても税収が増えたり減ったりするわけではない(税務署は別ですが)ので、痛くもかゆくもない。ストの期間中の給料は受け取らない(まぁ、普通そうでしょう)としても、終われば元の仕事に戻るだけです。もし、解雇でもしようものなら、全国から「闘士」が集まってきて「不当解雇を許すなー」と叫んだりして大騒ぎになります。

さて、件の先生です。彼が建てたそのマンションは、駅前の一等地に数十階建て、優に数十億円はかかったろうとのことです。筆者が小学生だったのはもう30年近く前の話ですから、もう退職されていると思いますが、まさか退職金で建てたわけではないでしょう。宝くじに当たったとしても無理です。彼の両親が資産家で、マンションは相続税対策かなにかのために建てた、と見るのが妥当でしょう。つまり、彼は、教壇で「ILOではスト権が認められている」とかなんとか講釈していたときから既に、お金持ちのぼんぼんだったわけです。
にもかかわらず、「もっと給料をよこせ」と、生徒をほったらかしてストライキに参加していたのです。(もっとも、厳密には待遇改善ではなく、いわゆるスト権ストだったかも知れませんが。この辺、なにぶん子供だったので詳しいことは覚えていません)

当時は学校が休みになる、と喜んだ教員ストですが、振り返ってみると、金持ちに対する嫉妬を差し引いても、実に怪しからぬ事です。

それにしても、そんなぼんぼんが、労働者の団結権がどうの、と一丁前の闘士ヅラして語っていたとは。
呆れると同時に、その先生を別段嫌いでもなかったことを思い出して、なんとも寂しい気持ちになってしまいました。

断水と定額給付金とバカヤローと

筆者は以前福岡市に住んでいて、平成6年だったかの福岡市渇水のときには断水を経験しました。もっとも、断水といっても本当に水がなくなったわけではなく、時間帯(夜間)による給水制限です。
当時、不便なのもさることながら、随分市民をバカにした措置だと思ったものです。その気になれば昼間のうちにいくらでも使えるし、貯めることもできるのですから。市民が本当に賢ければ、昼間だろうと夜だろうと必要以上の水を使うことなくきちんと節水するはずで、単純に考えると、わざわざ水道管のバルブを閉めて水を使えなくする意味はないように思えます。しかし、現実には市民はあまり賢くないので、実際に断水で不便な思いをするまでは真剣に節水しないのです。論理的には無意味なはずの給水制限が、なぜか効果を発揮する所以です。実際効果があるのですから、バカにされた、と怒ってみてもしかたありません。

これって何かに似ていますね。
そう、例の定額給付金です。私は定額給付金政策に賛成です。
「自分で納めた税金をそのままもらってもうれしくも何ともない、これは麻生政権の愚策だ」としたり顔で語る人が多いですが、その人たちは皆が皆、そんなに賢いのでしょうか。結局のところ、給付が始まれば受け取るでしょうし、受け取ったなら使うのではないでしょうか。それで目的は達せられるわけです。所謂ケインズ効果です。本当はこんな政策を行わずとも、皆がむやみに財布の紐を締めずに適切な消費をすれば良いだけなんですけどね。上の節水と同じような話ですね。

一番始末におえないのは臆面もなく「定額給付金は貯金します」などと言う人です。この点、節水とは逆で、「消費」が求められているのに、それすら理解していない人。あるいは理解した上で、「でも、貰った以上自分の金だから貯金しようとどうしようと勝手でしょ?」という利己主義者なのかも知れません。もちろん勝手です。ですが、それは夜間断水中なのに水を無駄に使いまくり、「水道料金は払ってるんだから勝手でしょ?」とうそぶく人と同じようなものです。

そもそも、「自分で納めた税金を貰ってもうれしくない」というのは平均以上納めていて初めて言えることです。平均以下でも、あるいは納めていなくても貰える定額給付金には、富の再分配の意味もあるわけです。
また、同じ二兆円ならもっと有効なことに使ってほしいという人がいますが、有効なこととは何なのでしょうか。道路でしょうか? 箱モノでしょうか? いずれにしろ、そのような使い方では特定の人が利益を受けるのみです。道路の利便性は万人が享受できる、と言えばその通りかも知れませんが、それはあくまで観念的にそう言えるだけであって、実際には、便利なのは沿線の住人だけです。下手をすると沿線の住人にとっても不要な道路ができてしまって、得をするのは業者だけ、ということになりかねません。
一方、定額給付金ならば、住民登録に基づいて給付され、曲がりなりにも全国民が享受できます。
また、「消費を奨励するのはエコじゃない」などと言う人もいますが、そういう人こそ「消費=物質的浪費」という古い頭が切り替わっていないだけではないでしょうか。非物質的なサービスに対して使えば良いだけの話です。
このように、定額給付金は確かに急場しのぎではありますが、ある程度有効な政策と言えます。それなのに、これほど反対が多いのはまことに理解に苦しむところです。麻生降ろしに躍起になっている一部の野党や、マスコミに乗せられて反対しているのでしょう。
麻生降ろしと言えば、政権発足当初は「解散総選挙をして国民の信を問え」と根拠もなく民主党が主張し、たくさんの人が同調して「解散をしないのは怪しからん」などと言っていましたね。あれこそ、特別給付金などよりはるかに国民をバカにした話です。衆議院の解散権の帰属については諸説ありますが、内閣に属すると考えるのがもっとも合理的であり、通説でもあります。それを、さも国会で求められたら解散しなければならないかのように言っている人には本当に呆れました。それこそバカヤローと罵ってやりたくなるほどです。

奇しくも、明日、2月28日は、かの「バカヤロー解散」の原因となった吉田茂のバカヤロー発言があった日で、「バカヤローの日」だそうです。なぜか、日頃怒っているに対してバカヤローと言って良い日なのだとか。(あくまで、「事」に対してです。「人」に対して言ったら喧嘩になります(笑))

今回はどういうわけか、いつもと違って毒舌風になってしまいました。一日早いバカヤローの日ということで平にご容赦ください。

漢字読めない首相誕生のメカニズム

麻生首相の漢字の読み間違いをマスコミが囃し立てることしきりです。実際、他人の読み間違いは気になるものです。誰にでも間違いはあるとはいえ、踏襲を「ふしゅう」、未曾有を「みぞゆう」はちょっと酷い。一国の首相として云々という以前に、日本人の平均レベルにさえ達していない感じです。

何故「漢字読めない首相」が誕生してしまったのか。

彼は二世議員ですから、親の七光りもあったでしょう。名宰相吉田茂の血を引く家柄の良さ、オリンピック日本代表という華やかな経歴、そしてなにより運に恵まれてもいたことでしょう。
ですが、魑魅魍魎が跋扈する政界を泳ぎわたり、ついには首相として位人臣を極めたのですから、上のような恵まれた条件を差し引いて考えたとしても、彼の頭が悪いはずはありません。

結局、恵まれすぎていたことが漢字が読めない理由なのです。33歳で麻生セメントの社長となり、39歳で衆議院に初当選。普通の人なら上司に「こんな字も読めんのか」と叱責され、ぐっと唇をかみしめて耐えることを覚える(ついでに漢字も覚える)時期に、「さすが若社長!」、「さすが先生!」とヨイショされていたわけです。将来が約束された若き麻生太郎の覚えめでたからんと、誰も読み間違いを指摘しないので、間違えたまま過ごしてきたに違いありません。

論語・公冶長に君子は下問を恥じずとあります。
立派な人間は、知らないことがあれば、自分より地位の低い者に問うことも恥とはしない、ということです。

恐らく封建君主たちは麻生さんの比ではなくヨイショをされまくっていたのでしょう。疎んじられてはかなわないので、漢字の読み間違いなどを指摘する者もいません。もちろん、中には直言の士もいたことでしょうが、たいていの君主は間違いを指摘されることなく過ごしがちになる。封建制の宿命です。

要するに、普通にしていては絶対にダメ君主になってしまうので、特別な心構え、思考法が必要なのです。
甘言を用いる者を遠ざけ、謙虚に他人の指摘に耳を傾ける。
これらは現在においても、特に人の上に立とうとする人間には貴重な教えであると言えましょう。

麻生さんはちょっと手遅れかも知れませんが、もし、読者の中に将来を嘱望されたエリートがいらっしゃったら心に留めておいてください。

麻生首相の書き初め

あけましておめでとうございます。

麻生首相が4日、記者会見で自ら揮毫した「安心活力」の四字を披露していました。上手下手は別として、その字句は簡にして素、意味もすこぶる穏当で、さすがに分かっていらっしゃるな、と思いました。
何を分かっているかと言うと、自分が「漢字読めない首相」と陰口を叩かれているということを、です。ここで妙にインテリぶって小難しいことを書くと、何を言われるか分かったものじゃありませんからね。

妙にインテリぶると言いますと、故宮沢喜一首相は、揮毫を請われると好んで「一片氷心在玉壺」と書いたそうです。「一片の氷心玉壺に在り」、王昌齢の一節で、清く澄みきった心境を表しています。博学で知られた宮沢氏の面目躍如たる一文ですが、筆者はどうも、一国の首相が書くには相応しくない文だと感じていました。なんか、ええ恰好しすぎだし、自分の心境ではなく、天下国家のあるべき様を指し示すべきではないかと思うのです。首相なら。

その点、麻生首相の「安心活力」は上にも書いた通り誰にでも分かる易しい言葉ですし、一定の「理想」が示されている点で、「一片氷心在玉壺」より好ましいと言えましょう。
どうも世間ではこの人をバカだの漢字読めないだの散々に言っていますが、彼の示した政策を仔細に見ると、なかなか良いものが多いのです。例えば、教育再生については理念だけでなく具体的な数値目標を掲げていますし、例の特別給付金にしても、バラマキという批判もあるものの、庶民としては「頂ける物は有り難く頂いておきましょう」というのが本音です。低下した消費マインドをなにほどか上向かせる効果があるならば、大変結構なことです。景気が良くなれば税収などは勝手に増えるのです。

ただ、麻生さんに関して唯一心配なのは、失言が多いことですね。この点だけは言語明瞭・意味不明瞭で有名だった宮沢さんを少しは見習った方が良いのかも。

国際テロのない世界を目指して

数日前に読売新聞社のサイトで「国際テロのない世界を目指して」というリンクを見かけました。いわゆる政府公報というやつです。

要するにインド洋における海上自衛隊の給油活動がいかに多国籍軍の役に立っているか、を宣伝する内容です。
でも、本当にそれでテロが無くなるのかな? と疑問を感じてしまいますよね。

「テロリスト」(と呼ばれる人達)を殺せば殺すほど、彼らの怨みは骨髄に達してテロは余計に深刻化する、と考えるのが普通ではないかと思います。

例が適切ではないかも知れませんが、かつての日中戦争に対する我々日本人と中国人との認識のズレと同じようなものを感じます。(日中戦争において)多数の一般市民が死傷したことは大変に申し訳ない、しかし、戦闘に於いて国民党軍や八路軍の兵士を殺害したことや、所謂便衣兵狩りついては、戦争だったのだから仕方がなかった、というのが私を含めて大方の日本人の考え方だと思います。しかし、中国側は決してそうは考えない。兵士だろうと便衣兵だろうと全て「日本軍に虐殺された犠牲者」である、と考えるはずです。

アメリカは「不朽の自由」以降一連の作戦によってテロリストを掃討してきた、と胸を張りますが、それは「テロリスト」の一族郎党にとっては、無道な虐殺に他なりません。「アメリカ軍に虐殺された犠牲者」なわけです。(もっとも、イスラム過激派は実は極少数で、大多数の穏健なムスリムからは決して支持されていないそうですが、それはまた別の話です)

さて、上のようなことを考えながら件の政府公報のビデオを見たわけですが、うーむ、なかなか巧く作られていて、途中から「うん、やっぱりインド洋での燃料補給は必要なんだな」と納得させられそうになります。特に若い自衛官たちの高いプロ意識、キビキビと、しかし黙々とした働きぶりは実に頼もしく、大変立派です。
が、しかし、やはりこの活動が国際テロを減らすのに役立っているというのは無理がある、という見方を覆すまでには至りませんでした。

ただ、私は、テロ根絶云々といった大義名分は大いに疑っているものの、基本的に自衛隊が海外で活動するのは良いことだと思っています。一部の左翼は自衛隊の海外派遣がかつての侵略戦争の二の舞への道を開く、などと主張しているようですが、全くのナンセンスです。
むしろ世界各国軍との協働の経験が国際感覚を磨き、世界の軍事的情勢を見極めるのに役立つ、と言えるのではないでしょうか。無論見極めた上で国の舵取りをするのは自衛隊ではなく政治家の役目ですが、国際感覚豊かな自衛官の存在がそのためのプリズムとなるのです。

 

細き雲見る間に流れ後の月