「少女革命ウテナ」は人間の解放の物語だった

たくさんアニメを見てきたつもりでしたが、この作品は未見でした。先日ニコニコ動画で無料配信をやっていたので軽い気持ちで見始めたところ、どハマりしてしまい、全39話を2周(!)しました。

決して短くないストーリーを2回も追いかけたのは、もちろん気に入ったからということもありますが、1度見ただけでは理解できない部分があったからです。以下は感想と私なりの解釈です。(20年も前の作品なので必要ないかもしれませんが一応書いておきます。ネタバレ注意!

大人向け

まず思ったのは、これは完全に大人向けの作品だということです。かわいいお猿のチュチュや一昔前の少年漫画では定番だった決闘など、一見すると幼稚とも思えますが、だまされてはいけません。回を重ねるごとに重いテーマが明らかになっていきます。

映像は少女漫画的であり耽美的です。好きな人には堪えられないでしょうし、そうでない人も見ているうちにすぐ慣れると思います。ちなみに私は前者です。

嘘だッ!!

最初に衝撃を受けたのはアンシーが微笑しながら「薔薇の花嫁でいられて幸せです」と言うシーンです。つい先日は「薔薇の花嫁なんて本当は嫌です」と言っていたにもかかわらず……。

このときウテナが「嘘だッ!!」と叫ぶところはアニメ史上屈指の名シーンですね。

なぜ衝撃なのかは見た人には言うまでもないことなので書きません。未見の方はぜひご覧になって確かめて下さい。

思った以上に性的

アンシーの兄である鳳暁生(養子に入っているので名字が違う)が登場すると、物語がドロドロしてきます。嫉妬や裏切り。歪んだ愛。極めつけは暁生とアンシーの怪しい関係です。色々な意味で衝撃的な作品ですね。

さらには少女が大人の男と一夜をともにする場面まであります。今では不可能な描写でしょうし、あまりに扇情的で賛否の分かれるところですが、私は最終回まで見た上で、ここは必要なシーンだったと思いました。

なお、男二人がなぜかベッドの上で半裸になってエロいポーズをとったりもしますが、これは男性同性愛の暗示ではなくナルシシズムの現れのようで、性的というよりはちょっと滑稽です。

女性の象徴

さて、心を殺して決闘の勝利者に従うアンシーはこの世の女性の象徴です。「結局、女の子はみな薔薇の花嫁のようなものですから」という彼女の台詞からもそれは明らかです。一方、ウテナや樹璃は生物学的には女性ですがデュエリストという役割上は男性と見なされています。

男同士が序列を伴う集団(ホモソーシャル)を形成し、互いに競い合って獲得した女(トロフィーワイフ)によって各々の位置を確認するといったことは、様々な時代及び地域においてしばしば見られる現象です。そこでは女は単なるモノとして扱われています。

男だけが悪いのではありません。「玉の輿に乗る」という俗諺があるように、女は女で地位の高い男に獲得してもらうことを望んで自らをトロフィーとしてしまったりもします。愛情は二の次で。

「革命」の意味

最も強く賢い男(=王子様)が最も美しく貞淑な女(=お姫様)を獲得する。この一見無害で夢があるとさえ思える寓話は、しかし、このように女の子たちにとって呪いでもあるわけです。

物語の前半では、ウテナは戦いに参加し勝利者となることでアンシーを救ったつもりになっていましたが、本当に救うには女をトロフィー扱いするシステム自体を破壊しなければならなかったのです。これが「革命」の意味です。

囚われているのは女性だけじゃない

この作品が従属を強いられる女性の哀しみを描いているのは確かです。ただ、人をモノ扱いするのは男性に限らないし、玉の輿を狙うのも女性に限りません。そういう意味では男性も含めて多くの人間が棺に囚われていると言えます。

ウテナは男装し、男言葉を使いますが、だから女の子でもこの世の理不尽さに立ち向かえたと考えるのは間違っています。勇気や気高さは男性だけの徳ではないからです。重要なのは他者に従属しないということで、性別は関係ないはずです。救う側が王子様である必要もなければ救われる側がお姫様である必要もありません。

タイトルを「女性の解放」ではなく「人間の解放」とした所以です。

Amazonプライムビデオでも見ることができますので、未見の方はもちろん昔見たけど大方忘れてしまったという人も見直してみてはいかがでしょうか。

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