ウェブ炎上 ネット群衆の暴走と可能性

荻上チキ氏の『ウェブ炎上 ネット群衆の暴走と可能性』を読みました。

全般的に鋭い洞察に満ちており、心理学の知識と方法論を駆使した考察は瞠目に値します。

が、いくつか引っかかるところもありました。

例えば、「分かりやすさ」へのカスケード(128ページ)。
ここでは、2004年に起きたイラク日本人人質事件に関する大衆のネット上での行動について考察されています。
著者は「日本人はイラクの人たちにそれほど嫌われてないはず」という思い込みが現実の人質事件によって覆されたため、認知的不協和が生まれ、それを解消しようとする心理から、人質バッシングが起きた、と指摘します。
つまり、日本人が狙われたという恐怖に向き合うよりも、あの3人がバカだったから拉致されたのだ、と考えたがる人が多かった、と(ただし、実際にこのように考えた個人が存在したということではなく、あくまでも大衆の心理を説明するためのモデルとしての話です)。
また、非日常的な現実を日常へと組み込んでいくのにもバッシングの方がマジメに考えるよりも簡単だった、「わかりやすかった」とも述べられています。

しかし、この非日常云々の部分の歯切れの悪さに特に顕著ですが、この理論には無理があるように思われます。

非日常であることは、恐怖の具体性を緩和する要素であり、従って認知的不協和を低減する要素です。非日常的に感じたことがバッシングの一因というのはおかしなことです。

大衆は、身に迫るような恐怖を感じ、それに耐えられず、ヒステリー的に人質バッシングを起こした、というのなら、一応筋は通ります。

しかし、著者も認めているとおり、私たちはあの人質事件を遠い異国のできごと、現実感に乏しいできごととして受け取っていました。
それゆえに、「三バカ」をバッシングすることで「合理化」する必要はそもそも無かった、あるいは少なかったのではないでしょうか。

「マスゴミだから」「サヨクだから」「朝日新聞の関係者だから」、そして多くの「国民」に迷惑をかけた「非国民だから」救済する必要はなく、殺されて当然。

著者はこのような極端な発言を挙げてバッシングの理不尽さを指弾する一方で、被害者の家族が「(テロリストの要求に応じて)自衛隊をなぜ撤退させないんですか!」と言い放ったことにはまったく触れていません。

また、別の部分では、

それまでは「自由主義史観研究会」(西尾幹二らと共に「新しい歴史教科書をつくる会」を設立した藤岡信勝が設立した団体)や「世界日報」(統一教会系列の新聞)などの、内容的にトンデモなサイトのみが上位に表示されており、

といった記述がありますが、統一教会系はともかく、「自由主義史観研究会」は、仮にその主張に誤りが多く含まれているとしても「トンデモ」と一言のもとに切って捨てて良いような団体なのでしょうか。

荻上チキ氏は恐らくリベラルな考え方の人なのでしょう。この本ではそれを表に出さないように気を遣っているように見えますが、それでも、上の「トンデモ」などといった口吻に、その思想の一端が表れているようです。

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